Vol.5  国土交通委員 編    

 岡本みつのり ココに注目!!

9月14日(火)発信 

日本の最南端 「沖ノ鳥島」 現地視察

(9/15〜16)

今、日本の領海が危ない!!

  ―  排他的経済水域(EEZ)(Exclusive Economic Zone)問題  ー

 近年中国は日本近海で国際的に取り決められた日本への事前通告なしに海洋調査を繰り返しています。
 そして今年になり東シナ海の日中の排他的経済水域境界線のわずか5kmの地点より地下埋蔵資源の採掘を開始しました。
 地下資源の埋蔵形状によっては日本側の資源もこの境界線から わずか5kmしかない採掘場からストローで吸うように取られてしまうかもしれないわけです。
 民主党では夏の臨時国会でも代表質問でもこの問題を取り上げ日本としての 強力な抗議と日中排他的経済水域境界線周辺の埋蔵資源の早期調査を求めています。

 その中でも中国は今年の7月に2回調査船を出し、沖ノ鳥島周囲の海域の地形と資源を調査しています。1回目の調査後の日本の抗議を無視する形で 2回目の調査も行っています。

  私は日本の国益を守る上でこのような中国の対応は看過できないと考えています。
  国土交通委員として日本の領土を守る意義からもこの沖ノ鳥島を視察してきます。

沖ノ鳥島とは?

 日本の領土は約37万7900平方kmで、世界の国の中で約60番目の広さを持ちます。しかし、海に囲まれた国なので、わが国が主張する排他的経済水域の面積は、 国土の約12倍の405万平方km、世界で7番目の広さとなるのです。その中でも上図の通り沖ノ鳥島があることで獲得される排他的経済水域の面積は、約40万平方kmで日本の国土の面積と同じになります。この沖ノ鳥島周辺の大陸棚は、資源埋蔵が期待されるだけでなく漁場としても日本の水産資源の宝庫です。さらに沖ノ鳥島が領土あることで今後国連に登録することで図の真ん中の公海部分(本土・南大東島・沖大東島・父島・硫黄島・沖ノ鳥島で囲まれた部分)も日本の排他的経済水域となることになります。

  国際社会の中で、中国ただ一国が沖ノ鳥島を島とは認めず排他的経済水域を持たない単なる「岩」であると主張しています。
 参考までに、1996年発効の国連海洋法条約では島の定義を以下のようにしています。

第121条  島の制度

  1.島とは、自然に形成された陸地であって、水に囲まれ、満潮時においても水面上にあるものをいう。
  2.3に定める場合を除くほか、島の領海、接続水域、排他的経済水域及び大陸棚 は、他の領土に適用されるこの条約の規定に従って決定される。
  3.人間の居住又は独自の経済的生活を維持することのできない岩は、排他的経済水域又は大陸棚を有しない。

 現在の沖ノ鳥島は高潮時にも東岩礁と北岩礁で水没はせず約70cm海面に出ます。この貴重な島が波による浸食の影響を避けるため 昭和62年から日本政府は島の周りに波消しブロックを置きコンクリートで護岸しました。従って1の要件は満たしていることになります。

 3の要件については既に護岸工事という経済活動はなされていますし 今後この島周辺での資源開発が進む中で経済活動が行われれば十分満たすことになります。



  国土交通省 京浜河川事務所HPより

↑ 現在の沖ノ鳥島の写真

「硫黄島」視察 

 この国土交通委員派遣には、もう一つ重要な目的がありました。それは、「硫黄島」戦没者慰霊です。

 名古屋から南へ約1250km(ちょうど名古屋サイパンの中間)の太平洋上に浮かぶ硫黄 島は明治以前は無人島でした。明治以降、硫黄の採掘、砂糖や薬草の栽培が始まり、二ヶ月に1本の定期航路も開始されました。太平洋戦争が始まる頃には人口は本島で1000人、北硫黄島で約190人でした。太平洋戦争後のアメリカ統治を経て「南方諸島及びその他の諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」の発効により,昭和43年6月26日に米国から日本に返還された。
  太平洋戦争の一大激戦地であるこの硫黄島には、今なお1万3千のご遺体が眠っています。この硫黄島から出撃した多くの爆撃機が日本各地の空襲に参加しました。
 太平洋戦争で悲しくも犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げるとともに、その歴史、思いは決して風化させてはならないものと心に刻みながら、平和への誓いをしてこようと考えております。

* 参考 「硫黄島」戦史 *

 大本営は島の戦略的重要性を認識し、硫黄島に栗林中将率いる小笠原兵団第109師団、陸・海軍将兵・軍属・特年兵(少年兵)を含む総数約2万2千923名を置き長期戦にそなえました。その中には在島民1,100名のうち、約130名が軍属として徴用され、内82名の方が戦死しています。
 対する米軍は800隻の艦船、4000機の航空機、総数25万の兵力で硫黄島奪取にかかる。栗林中将は持久戦にそなえ、島内各所に全長18Kmにも及ぶ地下壕を作りこの戦いに備えました。
 昭和20年2月16日から3日間、熾烈な艦砲射撃や空爆が加えられ、19日にはB29爆撃機の大編隊による空爆と硫黄島沖に集結した艦隊による一斉射撃が全島を襲い、その間、上陸用船艇第一波(約130隻)が硫黄島の南海岸に上陸してきました。
 硫黄島守備隊は持久戦を展開し、米軍上陸約一ヵ月後の3月17日まで壮絶な戦闘を続けました。
 しかし、日本軍は、栗林中将の決別の電文を打電し、総攻撃を最後に日本軍の組織的な戦闘は終わりました。
 その後、6月末まで日本軍による奮戦は続き、生還者は僅か1,023名。硫黄島の壮絶な戦いは、米軍28, 686名の戦死傷者と日本軍21,900名の戦死者を数えました。

決別の電文

 戦局遂に最期の関頭に直面せり、十七日夜半を期し小官自ら陣頭に立ち皇国の必勝と安泰を念願しつつ全員壮烈なる攻撃を敢行する。

 敵来攻以来、想像に余る物量的優勢をもって陸海空より将兵の勇戦は真に鬼神をもなかしむるものがあり。しかれども執拗なる敵の猛攻に将兵相次いで倒れたためにご期待に反しこの要地を敵手にゆだねるやむなきに至れるは、まことに恐懼に堪えず幾重いにもお詫び申しあぐ。

 今や弾丸尽き水枯れ、戦い残るもの全員いよいよ最後の敢闘を行わんとするにあたり、つくづく皇恩のかたじけなさを思い粉骨砕身また悔ゆるところにあらず。ここに将兵とともに謹んで聖寿の万歳を奉唱しつつ、永久のお別れを申しあぐ。防備上に問題があるとすれば、それは米国との物量の絶対的な差で、結局、戦術も対策も施す余地なかりしことなり。なお、父島、母島等に就いては同地麾下将兵如何なる敵の攻撃をも断こ破砕しうるを確信するもなにとぞよろしくお願い申し上げます。

 終わりに駄作を御笑覧に供す。なにとぞ玉斧をこう。


国のために重きつとめを果たし得で 
矢弾尽き果て散るぞ悲しき

仇討たで野辺に朽ちじ吾は又 
七たび生まれて矛を報らむぞ

醜草の島にはびこるその時の 
国の行く手一途思う

陸軍中将 栗林 忠道