Vol.5 国土交通委員 編 岡本みつのり 『ココ』に注目!! 9月14日(火)発信 |
日本の最南端 「沖ノ鳥島」 現地視察 (9/15〜16) 今、日本の領海が危ない!! ― 排他的経済水域(EEZ)(Exclusive Economic Zone)問題 ー |
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近年中国は日本近海で国際的に取り決められた日本への事前通告なしに海洋調査を繰り返しています。 |
沖ノ鳥島とは? 日本の領土は約37万7900平方kmで、世界の国の中で約60番目の広さを持ちます。しかし、海に囲まれた国なので、わが国が主張する排他的経済水域の面積は、 国土の約12倍の405万平方km、世界で7番目の広さとなるのです。その中でも上図の通り沖ノ鳥島があることで獲得される排他的経済水域の面積は、約40万平方kmで日本の国土の面積と同じになります。この沖ノ鳥島周辺の大陸棚は、資源埋蔵が期待されるだけでなく漁場としても日本の水産資源の宝庫です。さらに沖ノ鳥島が領土あることで今後国連に登録することで図の真ん中の公海部分(本土・南大東島・沖大東島・父島・硫黄島・沖ノ鳥島で囲まれた部分)も日本の排他的経済水域となることになります。 第121条 島の制度 |
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| 現在の沖ノ鳥島は高潮時にも東岩礁と北岩礁で水没はせず約70cm海面に出ます。この貴重な島が波による浸食の影響を避けるため 昭和62年から日本政府は島の周りに波消しブロックを置きコンクリートで護岸しました。従って1の要件は満たしていることになります。 3の要件については既に護岸工事という経済活動はなされていますし 今後この島周辺での資源開発が進む中で経済活動が行われれば十分満たすことになります。 国土交通省 京浜河川事務所HPより |
↑ 現在の沖ノ鳥島の写真 |
「硫黄島」視察 この国土交通委員派遣には、もう一つ重要な目的がありました。それは、「硫黄島」戦没者慰霊です。 名古屋から南へ約1250km(ちょうど名古屋サイパンの中間)の太平洋上に浮かぶ硫黄 島は明治以前は無人島でした。明治以降、硫黄の採掘、砂糖や薬草の栽培が始まり、二ヶ月に1本の定期航路も開始されました。太平洋戦争が始まる頃には人口は本島で1000人、北硫黄島で約190人でした。太平洋戦争後のアメリカ統治を経て「南方諸島及びその他の諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」の発効により,昭和43年6月26日に米国から日本に返還された。 * 参考 「硫黄島」戦史 * 大本営は島の戦略的重要性を認識し、硫黄島に栗林中将率いる小笠原兵団第109師団、陸・海軍将兵・軍属・特年兵(少年兵)を含む総数約2万2千923名を置き長期戦にそなえました。その中には在島民1,100名のうち、約130名が軍属として徴用され、内82名の方が戦死しています。 敵来攻以来、想像に余る物量的優勢をもって陸海空より将兵の勇戦は真に鬼神をもなかしむるものがあり。しかれども執拗なる敵の猛攻に将兵相次いで倒れたためにご期待に反しこの要地を敵手にゆだねるやむなきに至れるは、まことに恐懼に堪えず幾重いにもお詫び申しあぐ。 今や弾丸尽き水枯れ、戦い残るもの全員いよいよ最後の敢闘を行わんとするにあたり、つくづく皇恩のかたじけなさを思い粉骨砕身また悔ゆるところにあらず。ここに将兵とともに謹んで聖寿の万歳を奉唱しつつ、永久のお別れを申しあぐ。防備上に問題があるとすれば、それは米国との物量の絶対的な差で、結局、戦術も対策も施す余地なかりしことなり。なお、父島、母島等に就いては同地麾下将兵如何なる敵の攻撃をも断こ破砕しうるを確信するもなにとぞよろしくお願い申し上げます。 終わりに駄作を御笑覧に供す。なにとぞ玉斧をこう。 |